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たものなんです。伝承芸能というのは神事でございますから、実際にやるのは男ばかりなんです、踊る人も。関西の巫女舞とか、そういうものは別の例としまして、大部分が神事でございますから、音楽をやる人も太鼓、笛の人も舞う人も全部男の人です。そして、この人たちが鎮守の森で上演するのを村の人たちがみに来たのです。これをつないだのが祭りだったのです。この祭りのときの楽しみというのは、村の女の人たちがつくったおふくろの味的なお料理だったのです。つまり、実際に演ずるのは男だったけれども、祭り全体の心をつくったのは女性だったわけです。そういう形の中でずっと伝承されてきたのです。ところが、今度はみに来る村の人がいなくなってしまったのです。ですから、やる人が、だれもみていないところでやるような結果になって、やる気が起こらない。ですから、私も最初にいろいろなところを興すときに、これから1年半なり2年苦労しよう。だけど、最後にでき上がったときにみに来るのは、私とイノシシだけだよと(笑)、ここから始めるのです。
で、私は「村人」というのを、今「県民」に置きかえているわけです。それで、私の劇場で、1年半なり2年かけて復元してきたものを−私は、完全でないと、そしてできるだけ昔の形にしないとオーケーを出さないんです。もう一つは、NHKにいいまして、これを全部徹夜で中継してもらいました。NHKの時間は1分とるのも大変なんですが、今までのつながりもあって、20時間なら20時間中継する。そうすると、テレビに出るということが一つの魅力なんですね。それで一生懸命やってくれる。途中で、やめさせてくださいと何遍もいってきます、つらいから。だけど、人間努力すれば必ずいいことがあるんだからといって励まし励ましやってまいります。そして、これを県民にみせるんです。そうすると先ほどからのお話のように、熊本県にこういうものがあったのですかという話になるわけです。
今、清和村に1年間に10万人の観光客が参ります。私、3日前に行ってきたんですが、正確には12万幾らですが、この2万のほうは、天文台ができましたのでそっちのほうだろうと思います。前は、清和村自体がどこにあるかもわからない。ところが、今や熊本県の村というと、清和村と波野村なんですね。二つとも伝承芸能で立ち上がったところなんです。清和村の文楽、人形浄瑠璃芝居は3年かかりました。私が初めて行ったときは1曲しかなかった。それも古いテープでやっていた。それを3年かかって、1曲上げるごとに県内各地へ連れて行って見てもらいました。そして3年目に、よしというのでテレビで中継をしました。私の劇場で最初にやるとたくさんの人が来て、熊本県にこういうのがあったんですかになるんです。そこで初めて県民が自分の郷土に−私が最終的にねらっているのは「郷土愛」なんです。いろいろな形でやるけれども、最後にもってほしいのは、自分のふるさとはすばらしいんだという郷土愛。そうすると、初めてそこでPRが届いて、私
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